【大切にする】
自分や他者、物、環境、文化、伝統、目に見えない精神、お金、時間・・・など、自分を含めたあらゆるものに対し、日々、どのような心を向けておられますか?
人や物、あらゆることに目を向け、心を向けて、大切にできるようになるには、まず、自分自身を大切にすることです。
自分を大切にするには、「自分はこの自分で良い」、「自分は大切な存在」と思える「自己肯定感」がなければいけません。
もし、自分は自己肯定感がないから、ダメな人間だと思ったら、「そんな自分でもいいよ」と、声に出して、やさしく自分に言ってあげてください。
その声をあなたの脳が認識して、本当に「自分はこの自分で良い」と思えるようになります。
心の中で思っているだけでは、認識しません。
声に出して(出力=アウトプット)、その声を自分の耳で聞き(入力=インプット)、ようやく、回路がつながります。
【入力(=インプット)と出力(=アウトプット)について参照】
回路がつながると、思っていることを現実に実行できるようになるのです。
つまり、自己肯定感を高めることができるのです。
自己肯定感とは、「自分はこの自分で良い」と思えることです。
ですから、現実の今の自分に、「この自分でもいいよ」と言えることが、自己肯定感を高める一歩なのです。
自分や他人や物などを大切にできない人は、極度に自己肯定感が低いようです。
誰だって、生まれたときから極度に自己肯定感が低かったわけではないでしょう。
毎日、毎日、自分を否定される言動を他者から受け続け、しかし、それに必死に耐え、認められるよう頑張りぬいてきたことでしょう。
それでも何年、何十年・・・と否定され、踏みにじられ、それが蓄積されていき、とうとう、自己肯定などできるはずもないほど、追い詰められ、極度に自己肯定感が低くなってしまったのでしょう。
だから、自分も他の何も大切にできない今があるのです。
自分自身の存在を一度否定してしまうと、それを確かなものとして実証するような行動、つまり、確かに自分が要らない存在だったと証明してしまうような行動を、自ら行ってしまうのです。
それは、自分を「大切にする」こととは、正反対のことなのです。
今、それを変えるために、本当は、あなたが、一番最初に大切にされてほしい。
大切にされるってこんなにうれしいんだなぁと感じてほしい。
そこから、「大切」を広げていってほしい。
しかし、まず自分が一番最初に大切にされることはめったになくて、一番最初は、自分がボロボロだけど、とてもしんどいけど、誰かを(何かを)、大切にすることになります。
この世は、神様が司っています。
その一つ一つに込められている魂に、「おかげさまでありがとう」と心をむけます。
自分を含めてあらゆるものを粗末にせず、大切にする心を育てる。
たとえば、ゴミを捨てる時、どのような心で捨てていますか?
そのゴミも、かつては、生産者(製造者)の方々が、一生懸命作られて、
一生懸命働いたお金で買って、自分のために役に立ってくれたものです。
捨てる時に、「ありがとう。」「ご苦労様。」という心を込めて処分してください。
衣食住も、周りの人たちの心遣いや温かさも。
あなたには、「大切にする」ことがたくさんあります。
目を向け、心を向けてください。
これが、「心に力を作る」ということです。
水元照子先生のお言葉
- 持って生まれた神肌を粗末になさると不都合を受けます。
自分の守護神から不足を受けるのです。
守護神様は産声と同時に守護としてついてくださる神様です。
人間と心は切り離すことができません。
自分の守護神と御神霊とは切り離せません。
心の奥を掃除して、天に照らされるよう進まれることは、運命いかに険しくとも開墾して幸せの方へと向かわれます。
- 心を粗末にしていては、神様に対し、不潔です。
- 金に弄ばれるは情けない。金をもてあそぶのもまた、貧弱者。
金はこの世の宝である。
金運とちなむには人間性を磨き上げ、天を敬い御先祖を尊び、心の掃除をしてこそ健康も、金運もいただけます。
「先生、貧乏人が栄えるための根を教えてください。」
言いましょう。
欲を出さぬこと。欲にもいろいろある。
我欲、強欲、下欲、これはいけません。
一つだけ良いのは、「あぁ、これはもったいない。粗末にしてはいけない。」
この辛抱欲です。立てる心の欲は光る欲です。
今日、初めての御教えをいただけた、と喜ぶのもまた、ひとつありがたいのです。
- 始めありて終わりあり。生ありて死あり。
努力ありて実るなり。我慢ありて心根太し。
薄い紙にも裏表(うらおもて)。
塵も積もれば山となる。
人の心のお粗末は目には見えねど苦を積む姿。
人と生まれし尊き身をば、業(ごう)に染めるは情けない。
いかに自分を繕いすべきか。心の奥を掃除して心の良さをつくるのだ。
- 苦笑いは自分のもって行き場のない笑い方。
米一粒にしても粗末にはできぬ。
粗末な心に生えるものは何か。
見えぬからわからない。
粗末な心に生えるものは煮ても焼いても食えない不浄虫。
必ず自分が難儀する。責め苦を受けて苦労する。
- 心の良さは身の徳となる。粗末な自分を作らず、見上げる心は尊きもの。
- 実りの秋にちなむは自然に逆らわず、不憫にものを扱わず、心を清潔に。