【精神力】
「精神力」において、「心に力を作る」とするならば、どんな力を作ったら良いのでしょうか?
精神力とは、何かをやり抜こうとする意志の力、気力のことです。
予想しない事態やトラブル、試練に直面した時、どういう言動になるのかで、その人の気質や人間性がわかります。
その気質や人間性を支えるのは、精神力です。
本当に苦しい時、逃げたくなる。
投げ出しくなる。
ズルをしたくなる。
人間誰しも、弱い部分や悪の部分、ネガティブな部分をもっています。
「精神力」において、「心に力を作る」とするならば、どんな力を作ったら良いのでしょうか?
水元照子先生の御言葉によりますと、
「人は、生まれたときに、良心と悪心の両方をもらって生まれてくる。
心次第で、良心が大きくなったり、悪心が大きくなったりする。
その一つ一つの行いは、生まれたときについてくださる守護神様が、天に報告をされる。
心を養って良心が栄えると、守護神様は身なりが立派になられ、
力ある福々しいお姿で神々様の寄り合いにお顔をお出しできるが、
心を粗末にして悪心が大きいと、
守護神様は身なりがみすぼらしくなり、
その粗末なお姿で神々様の寄り合いにお顔をお出しされなければならない。
そうなると、守護神様に対し申し訳ないことになり、
天からのお怒りを受け、自分の運気が落ちるのだよ。
生きている間にうんと良心を大きく育てて栄えさせていくことが大事だよ。」
とのお話しがありました。
良心を増やすということは、神を敬い、御先祖を立て、人を尊敬し、事物に感謝し、
気配り・心配りし、心を粗末にせず、心の行いを立てて、
誠意をもって天の目から見て正しいことをすることです。
誰も見ていないから、本当はやってはいけないけど、出来心でやってしまうとか、
魔がさしてやってしまうというのは、自分を律する精神力が乏しいということになります。
これでは悪心が増えます。
誰も見ていなくても、誰から評価されなくても、
自分の中に一本、絶対に揺るがない芯・軸を持ち、
善徳を増やすことが精神力を養う力となります。
試練の時に、自分の心を見つめ、真正面から向き合い、苦しいときにこそ、
「ピンチはチャンスだ」ととらえ、物事をあきらめず、投げ出さず、
屈せずやり抜く力が精神力において力を作るということです。
水元照子先生のお言葉
- 大自然に両手を合わすのは何の姿勢だと思われますか。
精神のまとめを御届けする姿でしょう。
その精神が腐っていたら届けられません。曇った姿と同じです。
運を開きなされるとすれば、随分と随分と、心の根、力根を張り、落ち着く自分の姿勢をたのもしく幸福目指して、金の神様に気に入られるようになさること。
そうすればあなたは幸福になります。
だが教えをお聞きなられていて、まだも腰高くしていたら御水神様から嫌われますよ。
御水神様は慈悲深い御方です。
水は上には流れない。低い方へと流れます。
- 心のぜいたくばかりで身の落ち着く方へと向かわぬ者は不運が待つ。
隠れた力を作るのだ。
丁寧には言わぬ。
厳しく教育する水元です。
早く精神が目覚めるようになられることです。
- 苦を倒す精神力を作りなさい。
「今から指導を受けて体当たりで行きます。」という覚悟であるならいらっしゃい。
ここはお体裁じみた味を出す所ではありません。
幸不幸の道しるべをお手引きし、晴れて天の大親様に認められるよう指導いたします。
- 嘘と真(誠)は開きが太い。真(誠)は幸せの布を着る。
嘘は何を着るか。重い罪を着る。
人の一生は楽しいようであっても何時どんな目に遭うかわからない。
人間世暮らしの中に一つやかましいものがあります。
それは、鏡です。我の外部の姿を写し、悪しきところを直します。
だが、我が心を鏡に写して、引け目のないようになさる方はどんなお方でしょう。
心の鏡とは良心です。
神と人との間を司るものは何か。
それは自分の守護神が司るのです。
- 正直者は馬鹿を見るという言葉に乗る人もある。
正直の頭に神宿るを知らぬからである。
どちらにしても自由であろうが、優れた力は尊きもの。
自分の値打ちは自分でわかるもの。
人それぞれに身の幅が違います。
自分を人と比べてみてもどうすることもできないから、
おまけがつかないようにしていくものです。おまけとは、不運です。
仕方なき自分になるよりも、徳を積み、値打ちの重みを楽しめよ。
神を敬い、御先祖を立て、人を尊敬し、事物に感謝し、心の行いを立て、厚く務めて厚く着ることに心掛けなさい。