大祓詞(おおはらいのことば)について


大祓詞は古くから中巨(なかとみ)の祓詞とも呼ばれ、日本書紀や古語拾遺の中に

見られることから、奈良時代以前から既に存在しており、1200年前から

今に至るまで祭りに際して、必ず唱えられる詞として最も長い生命を持ち続けています。

大祓詞は、民族祖神の言葉を中軸として語り伝えられています。

この短い文の中に、日本民族の信仰およびその生活の知恵の要点を収容しているのです。

大祓詞は、その冒頭から、これは祖神の言葉であるとして語られています。

『古事記』の序文に次のように書かれてあります。


「・・・・・そもそも宇宙の初めに当たりましては、混沌の元をなす気は

すでに固まりましたが、気象はいまだ十分にはあらわれず、名もなく、行いもなく、

誰もその形を知ることはできませんでした。

しかし、天地が初めてわかれて、天之御中主神(あめのみなかぬしのかみ)・

高御産霊神(たかみむすびのかみ)・神御産霊尊(かみむすびのかみ)の三柱の神々が、

ものを作り出す初めの神とおなりあそばされ、陰陽が開けて、

伊邪那岐命(いざなぎのみこと)、伊邪那美命(いざなみのみこと)の二柱が、

万物の祖先とおなりあそばされました。・・・・・」


この祖神というのは、まず、「産霊(むすび)」すなわち創造化育と生成発展の力の根元です。

第一の祖神を

天之御中主神(あめのみなかぬしのかみ)

高御産霊神(たかみむすびのかみ)

神御産霊尊(かみむすびのかみ)

とします。


第二の祖神は、

「産霊(むすび)」の神の内在力を受け継ぎ、これを目に見える世界に展開した

伊邪那岐命(いざなぎのみこと)

伊邪那美命(いざなみのみこと)

です。


そしてこれら産霊(むすび)の神と伊邪那岐・伊邪那美の生成化育の力を、

一身に兼ね備え、これらの神々を代表とし、統括されているのが


第三の祖神

天照大御神(あまてらすおおみかみ:天照皇大神)

であるといわれております。


以上の神々を、古典では総称して祖神と呼んだのです。


大祓詞の中にある皇親神漏岐神漏美(すめらがむつかむろぎかむろみ)」の

皇親」は今は「すめらがむつ」と読んでいるが、古くは、「すめむつ」と読んでいました。

この「すめむつ」の「スメ」とは澄む、すなわち心が澄む、水が澄むというような

清浄を意味しており、「ムツ」とは、睦まじいという和の徳を表したものです。

つまり、「皇親」とは総じて「清く、正しく、睦まじい和の心」といえるでしょう。


次に、「神漏岐神漏美」とは先に述べた祖神を総称しています。

「漏」は口調をよくするために添えた言葉であり、「岐」と「美」によって、

伊邪那岐・伊邪那美でわかるように、男神と女神とを区別しているのです。


この「皇親神漏岐神漏美(すめらがむつかむろぎかむろみ)」の

たった八字の言葉の中には、

清く、正しく、睦まじい心を持っておられる徳の高い祖神の神々様

という意味が集約されているのです。

そしてその祖神の「命(みこと)以ちて」というのは、

そういう祖神の貴い御心や御言葉で、または御命令で、ということです。

これらのことからもわかるように、

祖神の「すべてのものが清く、正しく、睦まじい心を持って、すべてのものを生かし、

伸ばし、育て、互いに手と手を取り合って、足りないところを助け合い、

許しあって生きていく」という御心を、自分の心として生きていくのが神道
であり、

逆に言うならば、

それが神道が「命(みこと)持ちの道」といわれている所以なのです。


普通に、祓詞(はらいことば)と言わず、「大」をつけるのは、

この「大」が「公」という意味を持っているためとされています。

つまり、大祓は個人の祓いはもちろんのこと、社会全体の祓いを終局の目的としているのです。


祓いをするには、前提として"祓われるモノやコト"がなければなりません。

それは、罪(つみ)・咎(とが)・穢(けがれ)・悪(あく)です。

罪には、犯したことを自覚できるものと知らず知らず犯していた罪とがあり、

その「知らず知らず犯していた罪」さえも信仰上では大きな罪になります。

祝詞では罪を天津罪と国津罪とに分けています。


  • 天津罪

人が生きていくための命の根(生根)である貴い稲など、

五穀の生産を阻害し、神祭の神聖な場所を穢すことなどの罪。


  • 国津罪

人倫にそむき、人に害のある行為を行った罪。

これは、スサノオノミコトの「慢心」や「わがまま」を人間の最大の罪としました。


大祓詞の祝詞を奏上することにより、

過ち犯しけん種々の罪」=過ちを犯しただろういろいろな罪

さえも、すべてきれいにお清めいただけることを真剣に願うのです。


清め方は、''自らが犯した八十禍津日(やそまがつび)と

大禍津日(おおまがつび)''とを、まず、自覚し、反省するところから始まります。

禍津日(まがつび)とは、罪穢(つみけがれ)のことで、

人が一生の間に犯すたくさんの罪穢(つみけがれ)が八十禍津日であり、

その中で最大の罪穢が大禍津日(おおまがつび)に当たります。

このふたつが、禊祓(みそぎはら)うべき最初にあげられていることは、

罪の存在とそれへの自覚が、祓いの第一歩であることを意味しています。

罪穢(つみけがれ)がいかに自分を損なうものであるかを反省させるものは、

まずは、罪穢に対する反省と自覚なのです。

直毘(なおび)というのは、罪穢(つみけがれ)を祓い捨て、

本来の自己を回復向上せしめる努力
をいいます。


キーワードまとめ

  • 禍津日(まがつび)=罪穢(つみけがれ)のこと。
  • 八十禍津日(やそまがつび)=人が一生の間に犯すたくさんの罪穢のこと
  • 大禍津日(おおまがつび)=八十禍津日(やそまがつび)の中で最大の罪穢がに当たる
  • 直毘(なおび)=罪穢を祓い捨て、本来の自己を回復向上せしめる努力
  • 大直毘(おおなおび)=自己の最大の努力
  • 神直毘(かんなおび)=内より湧き起こる目に見えない力


祓いは、まず、罪穢に対する自覚に始まりますが、正しい自己の確立は、

決して容易ではありません。


真に祓いが確立されるためには、

  • 強固な意志・不動の信念による精進
  • 自己の最大の努力(大直毘 おおなおび)

と同時に、

  • 内より湧き起こる目に見えない力(神直毘 かんなおび)の加護が必要とされます。


大祓詞の要約

高天原に居られる祖神の神々様(天津神)は、この混沌としている世の中を

秩序立てるために何度も何度もお集まりになり、議論を重ね、

建御雷之神(たけみかづちのかみ)の御子であるホノニニギノミコトを、

御使わしになり、世の中を右にも左にも傾かない平らで安らかにしていく旨を、

この国に生まれてくる天の益人等(=人間)に知らせるようにされた。

しかし、化育発展を約束された天の益人等(=人間)は数々の罪を犯した。

この罪を自覚し、自覚したなら悪かったという気持ちを何らかの形において表し、

その罪を償い、あるいは、清め、本来の神の御心に添うように実行によって

改めていくように神に宣誓しなさい。

神に真剣に宣誓したら、天の親神様、とりわけ天照皇大神様が

たとえ雲をかき分けてでもお聞き届けくださる。

お聞き届けくだされば、その犯した罪は、ちょうど風が雲や深い霧を

吹き飛ばしてくれるかのように残らず無くなり、

人生の行く末に立ちはだかるものはなくなり、川の流れにそって、

川の瀬に居られる瀬織津姫(せおりつひめ)という神のもとへ行き、

大海原の渦が巻いているところに居られる速開都比売(はやあきつひめ)

という神のもとへ行き、気吹戸におられる気吹戸主(いぶきどぬし)

という神のもとへ行き、根の国・底の国に居られる速征須良比売(はやさすらひめ)

という神に届き、清められて罪が消えるのである。

このように罪が祓い清められてなくなるように天津神国津神、八百万の神様が

お聞き届けくださいますよう宣誓するのである。


参考文献
「神話の森」山本節 1989年 大修館書店
「世界の宗教」 岸本英夫編 1993年 大明堂
「神道」 薗田稔編 1994年 弘文堂
「大祓詞の解釈と信仰」 岡田米夫 昭和37年神社新報社
「講談社大百科事典」 1977年 講談社
「祝詞事典」 菟田俊彦編 昭和38年 以学堂