清浄

清浄であることの重要性

水元流神道も含め、神道では、

「清浄で、生き生きと生命力あふれ、邪心のない正しい誠心である」

ことを大変、重要としています。

神様は、「穢(けが)れ」、「不浄」、「不自然」をお嫌いであり、逆に言えば、

  • 神様をお祭りしている御社(おやしろ)も、その家も、人間の身のまわりも、

    人間の心の中も、環境も、ありとあらゆることが、清らかで

    穢(けが)れがないようにしていくこと。
  • 神様、御先祖様を尊び、心を明るく、生き生きと生命力にあふれ、栄える方に向かうこと。
  • 神の目から見て、うそ偽りがなく正しいこと。正直で素直で真面目なこと。

を、好まれるということです。

これらは、人が人として生きるために大切な「生きる姿勢」であります。

運を左右するのは、まさにこの姿勢です。


神道における「穢(けが)れ」について、少し、お話しいたします。

「穢(けが)れ」には、「不浄」というイメージがありますが、

他にも「気」を「枯らす」もので「気枯れ(=けがれ)」という意味合いもあります。

「穢(けが)れ」は、「清浄」とは反対の概念です。

「穢(けが)れ」とは、さまざまなものが、不都合や不浄であること、

また、生命力を枯らす「気枯れ」の状態であり、死や血、悪い行い、

わざわいなどを「穢(けが)れ」としていました。

また、「穢(けが)れ」は、神々の力を弱めるものとされ、忌み嫌われてきました。


「穢(けが)れ」を取り除くには、どうしたらいいでしょうか?

それは、「祓い(はらい)」をすることです。

「祓(はら)い」とは、罪や穢れ・災いなどを取り去って不浄を清めることをいいます。

ですから、水元流神道では、「お清め」の神事やおつとめがあります。

そして、人間の生活においては、毎日、清掃するように教えがあります。

また、目に見えない心の穢(けが)れは、御神前にてお参りし、祝詞を上げ、

心の勉強をすることで、目に見えない功徳を積み、それによってはらうのです。


御神前、家や仕事場の内外、部屋の清掃や片づけを怠ったり、心が清浄でなかったり、

不自然なこと、験の悪いことをしていると、身に受け、お知らせがあります。


不浄を持ちこむことは、神々様のお怒りに触れるのです。

「穢(けが)れ」た状態が、神々の力を弱め、ひいては、自分たちの運勢や心身を弱めているのです。

ですから、そうならないようにと、ご通知があるのです。


清浄 = 祓(はら)い

逆に、きちんと「清浄」であると、ますます運勢は栄えます。

清浄であるには、どうしたらいいのでしょうか?

それは、穢(けが)れを祓うことです。

「祓い」とは、罪や穢れ・災いなどを取り去って不浄を清めることをいいます。


一説に、祓いは、イザナギノミコト・イザナミノミコトの神話が起源とあります。

イザナミノミコトが火の神をお生みになったときに、

ひどい火傷を負われて黄泉の国にお隠れに(=お亡くなりに)なりました。

母祖神イザナミノミコトに、夫神たるイザナギノミコトが、悲しみの末、

死後の国へ訪れて会いにいった際に、

亡きイザナミノミコトの醜く変わり果てた姿を見てしまいます。

死の世界の穢れを祓い清めるために、

イザナギノミコトは、筑紫(つくし)の日向(ひゅうが)の

橘(たちばな)の小戸檍原(おとのあはぎがはら)にお出ましになり、

禊祓い(みそぎはらい)をなされました。


水に浸って身を清められたときに八十禍津日神(やそまがつひのかみ)、

大禍津日神(おおまがつひのかみ)、という「不浄の神」が、

次にその禍を直そうとして、「浄の聖」神直毘神(かんなおびのかみ)、

大直毘神(おおなおびのかみ)、伊豆乃売神(いずのめのかみ)が

それぞれお生まれになりました。

その後、イザギノミコトが左目を洗うと天照皇大神が、

右目を洗うと月読神(つくよみのかみ)が、

鼻を洗うと建速須左之男命(たけはやすさのおのみこと)がお生まれになったと

神話に記されております。

この伝承では、禊とは最も悲しい死の問題を解決するためのものであり、

そのためには天照皇大神様の御出現を仰がねばならないことを意味し

その清浄の究極は神から授けられた本来の自己、すなわち神心に帰る

というところにあります。


つまり、人生最大の悲しみである死の問題を契機として、

本来の自己・人生の在り方を明らかにすることが祓いであり、

それが天照皇大神様の使命でもあるとされている
のです。


祝詞の中に、「身滌大祓(みそぎのおおはらい)」があります。

この祝詞に、

「筑紫(つくし)の日向(ひゅうが)の橘(たちばな)の小戸(おと)の阿波岐原(あわぎはら)に

御禊(みそぎ)祓い給いし時に生座(あれませ)る祓戸(はらいど)の大神等(おおかみたち)」

とあります。

この「祓戸(はらいど)の大神等(おおかみたち)」とは、大祓詞(おおはらいのことば)にある、


  • 瀬織津比売(せおりつひめ)という神・・・もろもろの禍事・罪・穢れを川から海へ流す、川の神滝の神


  • 速開都比売(はやあきつひめ)という神・・・海の底で待ち構えていてもろもろの禍事・罪・穢れを飲み込む、海の神


  • 気吹戸主(いぶきとぬし)という神・・・速開津媛命がもろもろの禍事・罪・穢れを飲み込んだのを確認して根の国・底の国に息吹を放つ 、風(息吹)の神


  • 速佐須良比売(はやさすら)という神・・・根の国・底の国に持ち込まれたもろもろの禍事・罪・穢れをさすらって失くしてくれる地底(霊界)の神


のことと言われております。

この「祓戸(はらいど)の大神等(おおかみたち)」が、

すべての罪穢れを持ち去り、呑み込み、さらにはさすって無くしてくださるので、

罪という罪の一切がなくなるから、清まるのだと祝詞からわかります。


照子先生の御言葉

  • 信仰というものは、歌や囃子(はやし)で為すものではありません。

    心の廻りを清潔に、敬い心を立て道の怠りをお浄めして、

    晴れて天に顔向けの出きる一人となります。

    心の愚かなるは身の錆びとなります。


  • 止むに止まない降り注ぐ雪(=冷たい運命線のこと)。

    いつまでこれをかぶるのかね。

    温かいお天道様に身をもって両手を合わすのはたのもしきことですが、

    わが跡形を清潔になしてこそ天照らすものです。

    それなくして運命の改革をするのは難しい。

    我を助けるのは我の心である。


  • 心の贅沢よりも、心の洗濯に向かうことは、我が家が清まるのです。


  • 実りの秋にちなむは自然に逆らわず、不憫にものを扱わず、心の粗末を清潔に。


  • 疑いやすい人は心のぜいたく。

    良し悪しの分別なき人は苦労がつきもの。

    年回りという越すに越せない時期があるをも知らない。

    料理は舌三寸で受けるが、心の良さは我に鎮まりし守護神が受け付けるのです。

    心の廻りは何時も清潔になし、咎を受けぬようなさることに目覚められ、

    楽しい世暮らしをいただけるようお互いに進みましょう。


  • 因縁業を洗い清めなすなれば、お天道様は照らし給う。


  • この世の中には数々の宝物がある。中身の宝は心です。

    その心を粗末にしていては、神様に対し、不潔です。


  • 善徳はいかに太い幅を持つか。

    「先生、善徳というものはどのようにしたら良いのでしょうか。」

    それは、心掛けに太さ細さがありますので、

    お役に立つことをよく見定めるのです。

    人の目の前だけに為せばよいかと思われる人もあるが、

    そのような人は常に不浄を重ねるのです。

    厳しい教えをいただいて心の働きにて我が身の業の一部ずつなりとも

    清めるということが大切です。


  • 不心得は我に敵です。心の不自然には幸せは逃げます。

    心の廻りを清潔にすることこそ大切だと思います。


  • 人間は、我が足跡を汚していることには気づかず、幸せのみを望む人が多い。

    それは天が許しません。法が許しません。

    清めて初めて満たされるものです。