心に力を作る / 

自立と依存

自立と依存において、「心に力を作る」とするならば、どんな力を作ったら良いのでしょうか?
人は一人では生きられませんが、人に頼ることを当たり前にしないことです。甘えは捨てることです。
しかし、人に甘えないとは、人との助け合いや、関わり合いを一切断ち切ることでなありません。

自立は孤立ではないのです。

どこまで人に甘えていいのか、どこからは自分の力でしっかりやっていかなくてはならないか、この線引きは、個人差があり、難しいことかもしれません。

多くの場合、この線引きは乳幼児期、学童期、思春期・・・と、その年齢の成長とともに、親子関係や学校・その他の環境を通して、少しずつ「最適と思われる線引き」を学びます。

いつも、肌をくっつけていたい乳幼児期は、「抱っこ」を要求します。べったりな依存です。このべったりな依存を満足できるまで満たされた子の方が、自立に向かいやすいそうです。

学童期では、乳幼児期ほどのべったりなスキンシップは要求しないとしても、まだまだ、甘えたい気持ちが強く、ギュッと抱きしめてもらえることを強く望みます。もちろん、ここでも突き放さず、ギュッと抱きしめられ、安心した子の方が、自立に向かいやすいそうです。

そして、思春期の難しいときは、甘えたい(依存したい)ときと、干渉されたくない(自立したい)ときが、混在している時期です。

物事の分別や行動も未熟で、親に生活のほとんどを面倒みてもらいながら、親や周囲の人に反抗的な態度をとったり、悪態をついたりします。

「自我」が芽生え、これらの成長過程の中で、「自我」の成長とともに、「依存」しながら「自立」を学んでいきます。

まず、「自我」には、4つのレベルがあるとされています。

4つのレベルとは、「初期自我」・「中期自我」・「後期自我」・「成熟(あるいは円熟)した自我」の4つです。


初期自我

幼児の時代や、あるいはアルツハイマーが非常に進んだ老人などの状態。自分の要求をそのまま行動にだしてしまう状態の自我。


中期自我

良心や道徳心、正義感に従う心が発達してきて、倫理性や道徳、自分の理性でもって自分の行動を規制するようになるときの自我。しかし、道徳や倫理というのも、親や大人の世界から与えられているレベルなので、本来の好き勝手したいという欲求といつも葛藤している。大人の世界や親に依存している状態の自我。わかりやすくいえば年齢的には15歳未満くらい。


後期自我

反抗期などを経て、自分自身の倫理観や道徳観というのを確立している状態の自我。理性できちんと自分を規定して立派な社会人として演じられる状態。“演じられる”というのはつまり、社会で立派に活動する自我は理性で作られた仮面(ぺルソナ)のようなもので、その無意識下には、幼稚な部分や邪悪な部分、自分の認めたくない部分が影(シャドー)として抑圧されている。そのためいつも、シャドーが投影されたもの(たとえば、嫌いな人というのは、自分の中の嫌いな部分をその人に投影してみているから、その人を嫌うのだとされている。)に対して嫌悪感や恐怖感があり、正義の戦いを起こす。シャドーの部分とぺルソナの部分が戦っている状態でもある。


成熟(あるいは円熟した)自我

シャドーをある程度統合した状態の自我。つまり、自分もOK、あなたもOK.、みんなもOK.。仮に意見が合わなくてもその人や違う意見を尊重することができるから、やみくもにシャドーを投影して戦うことをしなくなる状態。


だそうです。

しかし、大人はみんな成熟した自我や後期自我かというとそうではなく、中期自我で止まっている人も多いそうです。

それは、子どもの成長過程において、「自立」にむかうことのできる「甘え」を遺棄・放置・無視などによって拒否されたり、また、自分で思った通りにやってみたいという自立への挑戦が過保護・過干渉などによって阻害され、悪い依存関係に縛られている場合もあるでしょう。

自立するには、成熟(あるいは円熟)した自我になることです。
つまり、依存をやめて中期自我を抜け、「こうしなければならない」という強迫観念や無意識下に抑圧した、幼稚な部分や邪悪な部分、自分の認めたくない部分である影(シャドー)と戦うことをやめて後期自我を抜け、心の内側から沸き起こる自分の声に耳を傾け、成熟(あるいは円熟)した自我になることが大事だといえるでしょう。

シャドーになったものと戦わずに、うまく統合できるには、まず、仮面をはずせる環境が必要です。そして、仮面(ぺルソナ)をかぶることになった現実を受け入れられるようになることも必要です。
人によっては、あまりにも過酷な環境のため、受け入れることが難しい人もいるでしょう。
受け入れることは、ひどいことをした人間を許すことだという気持ちになり、とうてい受け入れることなどできないでしょう。

ひどいことをした人間を許しなさいと言っているのではありません。
ひどい仕打ちを受けた自分は、価値のない自分だと思いなさいといっているのでもありません。
受け入れるということは、今の自分がこんなに苦しいのは、あのとき、あんなにひどい仕打ちをうけたのだから、そうなるのも無理はないと思うことです。
そのときに、なんらかの仮面をかぶり、自分らしさを失ったはずです。仮面をかぶったことは、無理もないことなんだ、それだけつらかったんだと、自分を受け入れるということです。

そして、かぶった仮面をはずしましょう。本来のあなた自身を取り戻しましょう、ということなのです。

仮面をはずすために誰かの力を借りましょう。それは、一見、依存に見えますが、依存ではありません。自立への一歩です。
それができれば、自我は成長していきます。

自我の成長とともに、生かされていることを心から感謝できるようになります。
涙があふれてくるような感動と感謝に包まれます。
いただいている恩恵がとてつもなく大きいことを知ることができます。

自立は、孤立ではないのです。

自立していても、人の力を借りることもあれば、自分が人に力を貸すこともあるのです。苦しんだ過去を持つあなたなら、なおいっそう、人に力を貸すことができるでしょう。人の痛みがわかるのですから。

でも、それは、べったりな関係ではないのです。
お互いに成熟した自我を持つ者同士のコミュニティなのです。
これが、自立と依存において心に力を作るということです。


語句説明

仮面(ペルソナ)・・・「しっかりしている自分」、「ムードメーカーとして場を盛り上げる自分」など、自分が集団の中で「自分らしさ」として見せている姿や、リーダー的役割、事務的な仕事を受け持つ役割、女房役など、集団の中で担う役割を受け入れる心の元型のこと。「~らしい自分」や、「その立場らしく振る舞う自分」が、役者がかぶる仮面のようであることから、ユングが仮面(ペルソナ)と名づけた。

影(シャドー)・・・無意識の中に存在する、「本人の意識の中では、嫌って拒否している悪の元型」のこと。「あらゆることを努力して頑張っていく努力家」の人の無意識の中に、「抱えているものを投げ出して、問題から逃げ出したいという悪」や、「いつも人に優しく親切で思いやりがある」のとは反対に無意識の中には、「他人をいたぶって傷つけたい悪」が存在し、そのことをユングは影(シャドー)とよんだ。

投影・・・自分の意識が否定したがっているシャドーを、他人の中に見出し、その他人を否定的に見たり、攻撃したりすること。